徳川家康の子育て術、いまも役立つ子育ての教訓と名言
天下統一を成し遂げた徳川家康。意外なことに子育てには苦労の連続だったようです。
わがままに育った長男・信康に大いに悩まされました。
家康がどのようなことを考えて子育てをしていたかを紐解いていきます。最後まで読んでご自分と照らし合わせながら参考にしてもらえたらと思います。
家康が息子秀忠の妻、お江に宛てた手紙に子育てのヒント
若木のうちに添え木をし、悪い枝を切り取れ
家康は長男信康の子育てはわがままにさせすぎて苦労をしたので、反省の意味もこめてこの言葉が出てきたのでしょうか。
「親を尊敬することは思いよらず、何度言っても聞き入れず、かえって親を憎むようになってしまった」
植木の手入れをするときは「悪くなった枝があれば切り落とし、弱くて曲がってしまうようであれば添え木をしてまっすぐ育つようにする」植木のように育てるということですね。
子育てに通じる家康の名言
不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したるときを思い出すべし
不自由が当たり前と思えば不満を覚えることもないという意味である。心に欲が起きた時には苦しかった時を思い出すことだ。
己を責めて、人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり
東照公(家康)遺訓にある「及ばざるは過ぎたるより勝れり」は論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を家康が解釈した言葉だと言われています。
家康の解釈は、「足りないことは度が過ぎるよりも優れている」と家康なりの解釈をしています。足りないということを知ることによってより努力できる。そんな風に考えたのではないでしょうか。家康の周りには織田信長・豊臣秀吉・武田信玄といった名だたる武将が多くいました。
彼らを観察しながらも常に向上心を持って、奢らず謙虚にという家康の生き方があらわれているようです。
人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし急ぐべからず
家康らしい言葉ですね。人の人生は長く苦しい事が多いので、辛抱強く努力を重ねて進むべきである。数々の苦難はくるけど焦らない。
若武者
親も城も金もなく、あるのは譜代家臣のみという若年当主が、危機と幸運に翻弄されながら国持ちとなり、ついに天下を目指す成長物語。
苦労とピンチの連続だった若い家康の実像に迫る!
人間は最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄えるもの
やはり人のために…が結果的には自分のためになるのですね。打算的なのはどうかと思いますが何もしないよりは1日ひとつでも人が喜ぶこと、子供が喜ぶことをたくさんしてあげたい。その親の姿をみて、子供はより成長するんでしょうね。
歴史はちょっと苦手、という大人でも楽しみながら戦国時代を学び直しできる1冊。
「日本一生徒数の多い社会科講師」として有名な伊藤賀一先生に監修に入っていただき、お子さんの教材としても楽しく利用できる上質な内容
諫めてくれる部下は一番槍をする勇士より値打ちがある
これは、ビジネスの場でも通じることですね。上司だろうが正しいと思ったことは助言してくれる人は貴重です。友人関係でもそうです、真の友達は言いにくいことでも助言してくれます。
『愚かなことをいう者があっても、最後まで聞いてやらねばならない。でなければ聞くに値することをいう者までもが発言をしなくなる』
子供が愚かなこと、理不尽なことを言ってきても、まず話を聞いてあげよう。途中で遮りがちになるのをグッと抑えて子供の言い分をしっかり聞いてあげよう。
願いが正しければ、時至れば 必ず成就する
2023年の大河ドラマは徳川家康
2023年の大河ドラマは徳川家康です。家康は前半生を人質として送り、大名となっても信長・秀吉に対抗できず、常に二番手、三番手の存在でした。ところが、秀吉の死後、天下を治めることに成功します。
ビジネスパーソンにとっても、経営者にとっても、政治家にとっても、含蓄のある言葉の数々です。家康は前半生を人質として送り、大名となっても信長・秀吉に対抗できず、常に二番手、三番手の存在でした。
ところが、秀吉の死後、天下を治めることに成功します。戦国の世の最終的な勝利者は家康でした。その波瀾万丈で、じっと耐えてきた家康の100の言葉を「決断」「戦い」「教訓」「治世」「天下」「家」「生き様」のテーマごとにまとめられているのでさまざまな立場のかたに家康の言葉の数々が役に立ちます。↓
手のひらサイズでもずっしり重い、黄金に光り輝く徳川家康公の兜飾りに、「人の一生は重荷を負うて…」で始まる有名な遺訓をあしらった硯屏(けんびょう)を組み合わせです。手元に置いて忘れないように心に刻みましょう
徳川家康と豊臣秀吉の唯一の直接対決!小牧・長久手の戦いで勝利した家康、秀吉が天下をとったのはなぜ?
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