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真田幸村(信繁)は家紋を大坂冬の陣・大坂夏の陣でつかえなかった!

真田幸村は家紋を大坂冬の陣、大坂夏の陣では使えなかった?

 

真田幸村といえば『六文銭(ろくもんせん)』の家紋が有名です。

家紋は戦国における自分の看板のようなもの。

鎧や旗などに家紋を描き、その活躍を周囲に知らしめるといった目的もありました。

真田幸村も真田家の家紋『六文銭』を旗や兜などの装備品にあしらっていたと言われています。

では、家紋となった六文銭にはどのような意味が込められていたのでしょうか。

 

 

六文銭の家紋の意味

六文銭といえば昔のお金の単位ですが、一方で「三途の川(さんずのかわ)」を意味しています。

 

三途の川…「この世」と「あの世」の間に流れる川のこと。

 

『命を落とした者は、三途の川を渡ってあの世にいくもの』

 

と昔から人々は信じていたのです。

 

三途の川には渡し船があり、船賃を払わないと川を渡れないとされていました。

その船賃が六文です。

 

「故人が川を渡る際に困らないように棺桶の中に六文の銭を入れる

という習慣があったようです。

これを六道銭といいます。

 

この三途の川の習慣こそが、真田家の家紋が六文銭である由来でもあるのです。

「いつ命を落としても大丈夫なように、六文銭を常に身につけておく」

すなわち、
「常に命をかけて戦いに挑もうという心意気」

「武士たる者、いつ命を落としても悔いが残らない戦いを」

という気概から来ているのです。

 

ちなみに六道とは、仏教の

地獄餓鬼畜生修羅

この6つの世界のことを言います。

奥深いですね。

 

大坂冬の陣、大坂夏の陣で家紋が使えなかった?

この六文銭の家紋。

実は、真田幸村が獅子奮迅の大活躍

をした「大坂冬の陣」「大坂夏の

陣」では使用されなかったと伝えら

れています。

 

そこには六文銭を使用できない理由があったのです。

 

真田幸村は戦国武将のなかでも非常

に有名で、真田家といえば幸村とい

う印象を持つ人は多いと思います。

 

しかし真田家の本流は真田幸村の兄・信幸であり、信幸は「徳川派」に属していました。

 

一方、弟の幸村は敵対する「豊臣派」に味方していたことから、本流である兄に迷惑をかける訳にはいかない…。

 

東軍で出陣していた真田本家に遠慮しての事と伝わっています。

 

そういった理由から、大坂の戦いでは六文銭ではなく「赤一色の無地の旗指物(はたさしもの)」が使用されたと言われています。

 

真田家の家紋は『六文銭』だけじゃない!

 

ところで、真田家の家紋は『六文銭』以外にもあったことをご存知でしょうか。

 

前述の通り、六文銭とは武人としての心構えに由来している物ですので、戦時以外では角が立ってしまいます。

六文

 

結び雁金(むすびかりがね)

 

州浜(すはま)

 

といったまったく別の意匠の家紋を用いる場合もあったようです。

 

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